Name:Oさん
Age:女性22歳
2018年4月~2019年3月 リバプールにて語学留学(留学時は大学3年生)
リバプールという街の魅力を語る
どうもこんにちは。
Oです。
まずは前回の私の不慣れな記事を読んでくださった全ての方、ありがとうございます。
相変わらずつたない文章だけど、今回もリバプールの魅力について
どんどん書いていきます。どうぞよろしくお願いします( ・∇・)

- イギリス留学、もしくは観光を考えている人
- イギリス音楽が好きな人
- 中でもロックミュージックが好きな人google
目次
リバプール発の音楽、マージービート
さて、
前回はまずリバプールという街についての基礎知識、
そしてなぜ私がリバプールを留学先に選んだのか
ということに焦点を当てご紹介したと思う。
その中で、私は、
大好きなイギリス音楽の始まりの場所であるから
リバプールを留学先に選んだ、と書いた。
そう、リバプールは、
誰もが知っているあの伝説的バンド、ビートルズを生み出した街。
しかし、ビートルズ以外にもリバプール出身のかっこいいバンドは沢山いるのだ
という事実は、あまり知られていない。
というかビートルズはどのように生まれたかということや、
その背景にあったリバプールの音楽シーンなんかも忘れられがちである。
…英国ロック好きの私としては、なんて悲しいことだろう!
そこで今回は、
リバプール、イギリス、いや、世界の音楽を語る上で外せない
マージービートと呼ばれる音楽ジャンル、バンドについてご紹介していこうと思う。
魅力たっぷりのマージービートの世界へようこそ(*^o^*)

マージービートって何だ?
そもそもマージービートとは
なぜそう呼ばれ
どんなジャンルで
どんな定義や特徴を持っているのか
まずは簡単な概要から。
マージービート
1960年代初頭に、ビートルズを筆頭に次々とヒットを放った、リバプールなどイギリス北部出身のロック━グループの総称。リバプール市内を流れるマージー川からつけられた名称。 三省堂大辞林第三版より“
つまり、マージービートとは
60年代に活躍したリバプール出身のビートバンドの総称のこと。
ちなみに、マージービートという定義をつくったのは、ビル・ハリーという青年で、
彼は当時リバプールの音楽シーンを盛り上げるのに大切な役割を果たした人気音楽雑誌「マージービート」を刊行した人物だ。(ジョンレノンとは大学の同級生だった)
ビルいわくマージービートのビートとは音楽のビートからではなく、警官のビート(職務領域みたいな意味)という言葉からできたものだという。かけていたのかもしれない。
1960年代のバンド、という所もポイントで、現在のマージービートバンドは、
60年代に活躍したバンドのカバーを主に演奏している。

マージービートとリバプールサウンド
ここで面白いのが、実は、マージービートという言葉自体が
英米で使われていた言葉で、日本では馴染みがないものだということ
かわりに日本では「リバプールサウンド」と呼ばれ、親しまれていたようだ。
(個人的にこっちの方がわかりやすいなあと思う。ちょっとダサいけど)
ただ、英米の「マージービート」と日本の「リバプールサウンド」、
ほぼ同義語であるのにかかわらず、微妙に意味が違うらしい…
「マージービート」は、先述したとおり
リバプールやその周辺地域から誕生したバンド、
音楽ジャンルのことを指しているのに対し、
「リバプールサウンド」は、ビートルズをはじめとした、
当時アメリカでも大きな成功を収め、ヒットを飛ばしたイギリスのバンドの総称
を指すようだ。
つまり、
日本人からみたらThe Who も The Rolling Stones もリバプールサウンド…
なぜそんなテキトーな概念になってしまったのかは分からないけれど、
それほど当時の日本人にとってビートルズの登場は衝撃的なものだったのだろう。
それに、遠い国の地域区分なんて、もうカッコよければどうでもよかったのかも。
(ただ、日本はそろそろややこしい和製英語を作り出すのをやめたほうがいいと思う)
歴史
マージービートの歴史はなかなか興味深く、
音楽、とりわけロックが好きという人には必ずおさえておいてほしいものだ。
今あなたの聞いているアーティストとも、
もしかしたらものすごく関係があるかもしれない!

1950年代後半、港町であるリバプールには海外から多くの労働者が訪れており、
多種多様な音楽を演奏するパブ、レコードショップが多く存在していた。
そんな環境下で育ったリバプールの若者達は次第に、
アメリカのロックンロール、R&B、ブルースなどに熱中していくようになる。
リバプールが貿易地として栄えていたこともあり、
アメリカ本土から流入する楽器や最新のレコードなどを
いち早くゲットできていた彼ら。
そんな環境と、当時の地域の連帯感や閉塞感、
そしてイギリス社会や音楽シーンへの不満も絡まり合い、
リバプールの若者達は独自のビートミュージックを成長させていった。
そうしてついに、あの伝説的バンド、ビートルズがリバプールで誕生。

(リバプールのパブで見つけた、いい写真)
リバプールの白人の若者たちによる、
アメリカの黒人音楽に強く影響を受けたビートミュージックは
世界中に衝撃を与え、大ヒットを飛ばしまくることとなる。
当時、大衆音楽の中心はアメリカだったのにもかかわらず、
イギリスの、しかもリバプールという田舎町から始まったムーブメントが
世界を巻き込む社会現象にまでなった…
これって前代未聞のものすごいことだったはずなのに、
なんだか最近過小評価されている気がするので、
ちょっとドラマチックに書いてみたけど、全部事実だ。
きっとマージービートがなければ、それに影響を受けたバンドや音楽達は
存在しなかった。かなりの範囲の音楽ジャンルになってくると思う。もちろん日本のバンドやアーティストだって、そう。…それって怖くない??ありがとうリバプール。
音楽的特徴
では、マージービートとはどんな音楽なのか?
次はその特徴についてご紹介しようと思う。
とはいうものの、音楽ジャンル、
とりわけマージービートの特徴を定義づけるのは結構難しい。
英語版Wikipediaでのマージービートの定義と
上記でも述べた、
「英国の白人の若者がアメリカの黒人音楽のビートを取り入れ、
アレンジし、バンドミュージックに昇華したもの」
という前提をもとに個人的に思った点をざっくりとまとめてみた。
- シンプルかつわかりやすいロックンロール
- アンプ直結のギターサウンド
- ビートが印象的(強めの4分の4拍子)
- コーラスを多様し、ボーカルのハーモニーを意識している
- キャッチーな曲が多い
とりあえずこんなところだろうか。
人によって捉え方は違うだろうし、他にも色々あるかもしれないので、
これはあくまで私のおもうマージービートの特徴であることは断っておきたい。
というか、とりあえず聞いてもらうのが一番早いと思うので、
いよいよ実際にリバプールの音楽シーンを賑わした
マージービートの主要アーティストをご紹介しようと思う。
リバプールにはビートルズ以外にも魅力的なバンドがいっぱいいるのです。
主要アーテイスト
The Beatles
ビートルズ以外にも魅力的なバンドはいっぱいいると言っておいていきなりかよ、と思われた方、ごめんなさい。やはり彼らについて言及しないとマージービートは語れない…
ビートルズはやっぱり最高。ただ、彼らの音楽性の変化はものすごいので、私的にマージービートと呼べるサウンドを持っていたのは初期の方に限られてくるのかな、と思う。
The Searchers
ビートルズの影にかすみがちだが、当時かなりの人気を誇ったバンド。
Love potion number9 なんかは聴いたことがある人もいるかも。
(実はわたし、ずっとこの曲はビートルズの曲だと思っていた)
私のイチオシ曲はこれ、最初のギターの音がお気に入り。
https://www.youtube.com/watch?v=yKiyVuESyKg
Gerry and the pacemakers
彼らもサーチャーズと同じく、ビートルズと競い合いながら当時人気を二分していたようなバンドである。
デビュー曲「How do you do it?」は、プロデューサーのジョージマーティンがビートルズのために用意していた曲。しかし、ビートルズの拒否によって、彼らにまわってきた…というなんともいえないエピソードをもつバンド。
ただ、他にもヒット曲をたくさん持っており、その中のひとつ、「You will never walk alone」 は有名サッカークラブ「Liverpool FC」の愛唱歌として全世界のサッカーファンに親しまれている。
サッカーチームとの関係性が強く、リバプール対ノッティンガムフォレスト戦でたくさんの死者を出した群衆事故の際に書かれた曲、「Ferry Cross the Mersey」はいうまでもなく名曲。聴きながら目を閉じればそこはもうリバプール!
https://www.youtube.com/watch?v=08083BNaYcA
The Big Three
個人的にスリーピースバンドというものが好きなので、彼らは外せない。
(名前が直球すぎて面白くないですか?)
だが、当時のマージービートバンドでトリオ編成はかなり珍しいものだったよう。
そんな中でも、“One of the loudest, most aggressive and visually appealing acts” (最もうるさく、アグレッシブで、優れたビジュアルを持っているバンドのひとつ)と世間に言わしめていたくらい、他のバンドに負けず劣らずのパワフルで熱気あふれるライブ演奏を売りにしていた。
彼らもビートルズに次ぐ人気…と言われていたらしいが、そのフレーズ、聞きすぎてもはや信用ならない。
Rory Storm & the Hurricanes
ビートルズのリンゴスターが在籍していたことで知られるバンド。
実は、ビートルズより先に絶大な人気を得ていたようで、マージービートの幕開けと発展に大きく貢献したバンドである。リンゴはこのバンドに加入しながらも時々ビートルズのサポートをしていた。
https://www.youtube.com/watch?v=d7QoYeXgXqE
The Mersey beats
バンド名がまんまで逆にややこしいバンド。
マージービートを紹介するならこのバンドに触れないと怒られそうな名前だ。
彼らは上記で紹介したビートルズ達よりも少しだけ下の世代のバンドである。
キャバーンクラブでみたマージービートバンドに衝撃を受け、憧れて結成された。(だとしたらこの名前、結構かわいい)
ただ、アメリカで大きなヒットを飛ばすことはできなかったようで、
その名前はあまり浸透しておらず、隠れ名バンド的扱いを受けている。
ビートルズ達の影響をもろに受けながらも爽やかでクオリティの高い曲が多く、
個人的には結構好き。
他にも魅力的なバンドはいっぱい
まだまだたくさんいるがとりあえずこれくらいにしておこう。
このように、当時活躍したバンド達を調べてみると、
お互い知り合いだったり、バンドを掛け持ちしていたり、カバーをし合っていたり、
リバプールという結構狭いコミュニティで切磋琢磨し合っていたこともあってか、
色々つながりがあっておもしろい。
実際、私が留学時にステイしていた家の近くに、ビートルズが初めてギグをやったパブがあって、ビートルズと共演経験のあるお年寄りがたくさん通っており、びっくりしたことを覚えている。(いっぱい握手してくれた)
…当時のリバプールの若者達がうらやましい限りである!
(ビートルズが初めてギグをやったLathom Hallというパブ兼ダンスホール。残念ながら去年閉業してしまったらしい…毎週火曜日のみ開いていて、お年寄りがダンスしまくっていた。内装もものすごくクールで、なぜかビートルズのメンバーの出生証明が飾ってあった。)
Liverpool and Merseyside Sounds
いかがだっただろうか。
1960年代におきたマージービートという音楽ジャンル。
いや、もはや音楽ジャンルというより社会現象と言ったほうがいいかもしれない。
それほど世界的に大きなムーブメントがリバプールという街から生まれたのだ。
マージービートの流行が終わった後も、影響を受けたバンド達が続々と現れ、
フォーク、ガレージ、パンクなど、様々なジャンルに派生していったが、
彼らの切り拓いた新しい音楽の可能性は、進化を遂げ、
現在のロックミュージックにそのスピリッツを強く残している。
リバプールでも、Frankie Goes To Hollywood や The La’s など、
たくさんの魅力的なバンドが後に続いた。
最後に、Spotifyでとてもいいプレイリストを見つけたのでご紹介したい。
このプレイリストは英国政府観光庁によるもので、リバプール出身のマージービート、
そしてそれ以降のバンドをいい感じにまとめてあり、リバプールの音楽シーンの魅力を伝えるのにぴったりのものだと思う。
Liverpool and Merseyside Sounds
今はコロナでどこにも行けないけれど、
音楽は、場所や時代を超えて私たちをどこへでも連れていってくれるもの。
あなたもマージービートを聴きながら、リバプールに思いを馳せてみてはいかがだろうか。
次回は、実際に当時の魅力を残す場所やお店など、
観光地やオススメスポットについて書こうと思っている。
王道スポットから、日本のガイドブックには載っていないローカルな隠された場所まで、
幅広く抑えていく予定だ。
皆さんの旅行欲を最大限に引き出してしまうような記事ができたらいいな。
それでは。
3へ続く。